2025年6月1日、三重県立美術館で泥壁SAKAN講座2「写真、ワンダーランド」と題した講演会を開催しました。
登壇したのは、写真集『浅田家』で木村伊兵衛写真賞を受賞した津市出身の写真家 浅田政志さんと、写真集を中心とした出版社・赤々舎の代表を務める姫野希美さんです。前半はそれぞれの自己紹介、後半は対話形式で、最後には来場者からの質疑も交えながら進行しました。
家族写真から広がった写真の世界
冒頭、浅田さんは一枚のアルバム写真をスクリーンに映し出しました。お父さんが撮影し、お母さんがアルバムに収めた写真です。この家族写真の原体験から、専門学校で出された家族写真をテーマにした課題をきっかけに、作品として家族写真に取り組むようになった経緯を話していただきました。自らの家族をモデルに、さまざまな職業やシチュエーションを演じるセルフポートレート作品を撮り始め、その家族写真の集成である代表作『浅田家』は高く評価され、映画化もされることになりました。
姫野さんは京都で出版社・赤々舎を立ち上げ、写真界の芥川賞と言われている木村伊兵衛写真賞の対象となった数多くの写真集を出版しています。浅田さんの写真家としてのスタートとなる『浅田家』も赤々舎から出版されています。浅田さんが赤々舎に写真を持ち込んだ当時のエピソードから、それが写真集として世に出るまでの貴重なお話を伺うことができました。写真を本というかたちに変換していく作業には、撮影とはまた異なる表現の奥行きがあることを教えていただきました。
津に残る写真史
浅田さんは、ご自身がプロデュースしたスタジオがある津市の四天王寺に、日本の写真術の祖とされる堀江鍬次郎の墓があることを紹介しました。堀江鍬次郎は幕末期の津藩士で、日本ではまだ技術が確立していなかった写真術を、坂本龍馬などを撮影したことで知られる上野彦馬と共に学び、広めた人物です。家畜の遺体を腐敗させてアンモニアを生成するなど、今では考えられないような過程を経て写真が撮影されていたそうです。
こうした日本写真のはじまりとなる歴史が津にあったことに驚かされました。浅田さんの会社が「浅田撮影局」と名乗るのも、上野彦馬の「上野撮影局」へのオマージュだそうで、写真の技術が積み重ねられてきた歴史を感じることができました。
写真集づくりの舞台裏
写真集がどのように形づくられていくのか、その具体的な現場の様子が紹介されました。写真家と編集者のやり取り、写真の選定、並べる順番の検討、印刷機での微妙な色の調整、写真集の装丁や価格まで、写真家・編集者・出版社それぞれの立場からほかではちょっと聞けないようなお話を聞くことができました。
これだけの手間をかけて写真集が出版されていることに、ご来場のお客様も驚かれていたように思います。高価に感じられる写真集の価格も、むしろ安く思えるほどの、並々ならぬこだわりを垣間見ることができました。現在はスマートフォンなどの画面上で写真を見る機会が圧倒的に多くなっていますが、写真集を物理的なものとして作り上げていく過程で、画面で見るのとは異なる作品性が生まれていくことがよくわかりました。
講演を終えて
浅田さんのお話から、身近なところで写真技術のルーツがあり、現代の写真表現はそういった過去の技術や思いを受け継ぎながら今に至っていることを実感することができました。また、浅田さんの原点である家族写真の話から、写真をプリントして保存する大切さを改めて感じました。
写真家の心の奥底に秘められたものを見つけ、それらを研ぎ澄ましていくことで写真集という作品に仕上げている姫野さんの編集術に感銘を受けました。写真のセレクトと配列を何度も何度も繰り返し考えて写真集を編んでいくことが楽しくて大好きだとおっしゃっていたことも印象的でした。
ご登壇いただいた姫野様、浅田様、ご来場いただいたお客様、本当にありがとうございました。
これからも泥壁左官ではさまざまなテーマで講座を開催していく予定です。どうぞご期待ください。

